「この世に悪があるとすれば、それは人の心だ。」
――エドワード・D・モリスン
そんな、なんとも格好いい言葉から始まる「伝説のRPG」――テイルズ オブ ファンタジア。
シリーズ第1作として1995年にスーパーファミコンで発売され、その後1998年に初代PlayStationへ移植された。
私がプレイしたのは、このPlayStation版。
前回書いた『テイルズ オブ デスティニー』に続いてプレイした、私にとって2作目のテイルズシリーズだった。
スーファミ版が発売された1995年は、RPGだけを見てもかなりの激戦の年だった。
『クロノ・トリガー』『ドラゴンクエストVI』『ロマンシング サ・ガ3』をはじめ、『風来のシレン』『タクティクスオウガ』『アークザラッド』など、今でも語り継がれるタイトルが次々と発売されている。
そんな年に、ナムコの新規IPとして発売されたのが『テイルズ オブ ファンタジア』だった。
スーファミ版の出荷本数は約21万本。後のテイルズシリーズの規模を考えると、最初から大ヒットを飛ばしたシリーズというわけではなかったようだ。
それでも1997年には続編『テイルズ オブ デスティニー』が発売され、こちらが大ヒット。そして1998年には『ファンタジア』も初代PlayStationへ移植されることになる。
ナムコによれば、PlayStation版の発売には『デスティニー』のヒットだけでなく、『ファンタジア』をPlayStationへ移植してほしいという声が多く寄せられていたことも理由だったという。
派手なスタートではなかったかもしれない。
それでも、最初に遊んだ人たちの中に「もっと遊びたい」「別のハードでも遊びたい」と思わせるだけのものがあった。
そう考えると、後に長く続くテイルズシリーズの原点として、やはり『ファンタジア』は特別な一本だったのだと思う。
「夢は終わらない」から始まる冒険
PlayStation版のオープニング曲は、よーみさんが歌う「夢は終わらない ~こぼれ落ちる時の雫~」。
スーパーファミコン版では吉田由香里さんが歌う同曲が使用されており、冒頭の「この世に悪があるとすれば~」というセリフから、そのまま歌へとつながっていく。
しかもスーパーファミコンのソフトでありながら、ボーカル入りの主題歌が流れ、キャラクターにもボイスが付いている。
今では珍しくもないが、当時のスーファミのRPGとしてはかなりインパクトのある演出だった。
一方、PlayStation版ではこのセリフから始まる演出ではなくなり、アニメーションによるオープニングムービーが用意されている。
これがまたいい。
前作『デスティニー』のオープニングと同様、これから冒険する世界やキャラクターたちが魅力的に描かれていて、見ているだけで「これからどんな物語が始まるんだろう」とワクワクさせられる。
やはりテイルズは、オープニングアニメを見てからプレイするのがいい。
曲と映像で作品の空気を感じてからゲームを始めると、よりその世界に入り込める気がする。
剣と魔法、少年と少女。これぞ王道ファンタジー
SF的な要素も強かった『デスティニー』に対し、『ファンタジア』は剣と魔法を中心とした王道ファンタジー色の強い作品だった。
主人公は剣士の少年クレス・アルベイン。
そしてヒロインは法術士の少女ミント・アドネード。
物語はクレスとミントの出会いから動き始め、やがて仲間たちとともに世界の命運を懸けた冒険へと発展していく。
少年と少女の出会いから始まるボーイ・ミーツ・ガール。
仲間と出会い、絆を深めながら成長していくジュブナイル的な物語。
剣と魔法のファンタジー世界。
そして、単純な善悪だけでは割り切れない敵との対立。
今にして思えば、後のシリーズにも通じる「これぞテイルズ」と感じる要素が、この初代作品の時点ですでに詰まっていた。
インディグネイションという特別な魔術
『ファンタジア』で忘れられないもののひとつが、「インディグネイション」だ。
ゲーム冒頭、魔王ダオスに対して放たれる大魔術。
「天光満つる所我はあり、黄泉の門開く所汝あり。出でよ、神の雷!」という長い詠唱も含め、とにかく中二心をくすぐられる。
そして詠唱の末、「これで最後だ!」と強烈な雷撃が降り注ぐ。
子どもの頃の私には、これがとにかく格好よく映った。
インディグネイションは『ファンタジア』だけの魔術では終わらず、その後のテイルズシリーズにもたびたび登場することになる。
シリーズを重ねるごとに演出はどんどん豪華になり、作品によっては通常の術ではなく、特別な技である秘奥義として扱われることもある。
後の作品でインディグネイションを見るたびに、
「お、インディグネイションだ」
と、ちょっと嬉しくなる。
シリーズを象徴する魔術のひとつだと思う。
現代、過去、未来を巡る冒険
『ファンタジア』で特に好きだったのが、時空を超えて冒険するという設定だ。
世界を救うため、クレスたちは現代から過去へ、そして未来へと時代を越えて旅をする。
時代が変われば、同じ世界でも町や人々の様子は変わる。
そして、それぞれの時代で新たな仲間たちと出会っていく。
単純に世界中を旅するだけではなく、「時間」そのものを旅する。
当時の私には、この設定がとにかく刺さった。
剣と魔法の王道ファンタジーに、タイムトラベルという要素が加わることで、物語のスケールが一気に広がっていく。
魅力的な仲間たち。
時代を越える壮大な冒険。
そして、その中心にいる魔王ダオス。
すべてが当時の私の好みに見事なくらいハマっていた。
ダオスは本当に「悪」だったのか
そして『ファンタジア』で最も印象に残っているのが、やはりダオスという存在だ。
クレスにとって、ダオスは明確な敵だ。
ダオスによって故郷を焼かれ、大切な人々を失うことになる。
プレイヤーとしても、物語の序盤では当然「ダオスを倒す」という目的で冒険を進めていくことになる。
ところが物語が進むにつれて、単純にそれだけではないことが分かってくる。
人類は「魔科学」という力を発展させていた。
しかし、その力は世界を支えるマナを大量に消費する。
ダオスはそのマナの枯渇を危惧し、人類と敵対していた。
もちろん、だからといってダオスが行ったことがすべて正当化されるわけではない。
一方で、人類側も何の問題もない「善」の存在として描かれているわけではない。
クレスたちにはクレスたちの事情があり、ダオスにはダオスの事情がある。
どちらが善で、どちらが悪なのか。
そんな単純な話ではない。
冒頭で提示される、
「この世に悪があるとすれば、それは人の心だ。」
という言葉が、物語を最後まで見届けることで改めて意味を持ってくる。
勝ったのに、どこか寂しいラストバトル
最終的にクレスたちはダオスと戦い、彼を倒すことになる。
普通のRPGなら、
「ついに魔王を倒した!」
とスッキリしてもよさそうな場面だ。
しかし『ファンタジア』はそうならない。
ダオスが何のために戦っていたのか。
なぜそこまでしてマナを守ろうとしていたのか。
その事情を知ったうえで迎える決着なので、ダオスを倒したことに単純な爽快感はない。
むしろ、どこか物悲しい。
「これで本当によかったのだろうか」
そんな気持ちが残る。
ただ、物語はダオスを完全な「倒されて終わりの悪役」として扱っているわけでもなく、最後には彼にも救いを感じさせる展開が用意されている。
そこも含めて、とても印象に残るラスボスだった。
冒険が終わり、それぞれの時代へ
そして、ダオスとの戦いが終われば、仲間たちとの別れが待っている。
時代を越えて集まった仲間たちは、もともと同じ時間を生きていたわけではない。
冒険が終われば、それぞれが自分の時代へと帰っていく。
長い冒険をともにした仲間たちが、それぞれの場所へ戻っていく。
世界は救われた。
目的も果たした。
それなのに、すべてが元通りになるわけではない。
楽しかった旅が終わってしまったような寂しさが残る。
そんなエンディングだからこそ、いつまでも心に残っているのかもしれない。
今振り返っても「伝説のRPG」
『テイルズ オブ ファンタジア』は、私にとって『デスティニー』に続く2本目のテイルズだった。
剣と魔法。
少年と少女。
個性的な仲間たち。
時空を越える壮大な冒険。
そして、単純な勧善懲悪では終わらない物語。
今振り返ると、当時の私が好きになる要素しか入っていなかったように思う。
後のシリーズにつながっていく術や設定、そして「敵にも敵なりの事情がある」という物語の作り方。
初代作品でありながら、その後のテイルズシリーズに通じる魅力がすでにたくさん詰まっていた。
そして何より、エンディングを迎えたあとに残る、あの少し寂しい感覚。
楽しかった冒険が終わってしまった。
そんな余韻まで含めて、私にとって忘れられないRPGのひとつだ。
『テイルズ オブ ファンタジア』。
私にとって、今でも色褪せない思い出のRPGだ。
次回の記事:テイルズシリーズのおもひで③ テイルズ オブ エターニア
前回の記事:テイルズシリーズのおもひで① テイルズ オブ デスティニー
「テイルズシリーズのおもひで」シリーズ
テイルズシリーズのおもひで① テイルズ オブ デスティニー
テイルズシリーズのおもひで② テイルズ オブ ファンタジア
テイルズシリーズのおもひで③ テイルズ オブ エターニア
テイルズシリーズのおもひで④ テイルズ オブ デスティニー2
テイルズシリーズのおもひで⑤ テイルズ オブ シンフォニア



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